今、ここを楽しんでよいのか
私は人生を難行苦行を積むことが美徳と思っている節がある。それは何ら必要性はなく合理的でもないが。
なぜそう思うかはわからないが、私の性質なのだろう。
たちが悪いのが、その難行苦行は何ら目的があってのことではなく、難行苦行の行為そのものが目的なのだ。
しかし、私は常に難行苦行を自らに課し続けるほど強靭ではないので、すぐに怠けてしまう。
そしてそんな自分がますます嫌いになる。
目的があってのことではないので、キネーシス的ですらない。
アドラーは、エネルゲイア的な人生を提唱する。
カウンセラーも、もっと今を楽しめばよいと言う。
例えば受験生がいて、何らかの事情で突然受験の機会を奪われたとき。
エネルゲイア的人生であれば、それまで積み重ねた努力や実力を肯定し、以後の人生を歩む大きな力になるだろう。
無闇に難行苦行を積まねばならないと思うだけで実際は何もせず自己嫌悪に陥ることではなく、もっと本質的に人生に向き合うということだ。
今、ここの自分を充実させ続けること。
今、ここの自分に強烈なスポットライトを当て続けること。
なぜそう思うかはわからないが、私の性質なのだろう。
たちが悪いのが、その難行苦行は何ら目的があってのことではなく、難行苦行の行為そのものが目的なのだ。
しかし、私は常に難行苦行を自らに課し続けるほど強靭ではないので、すぐに怠けてしまう。
そしてそんな自分がますます嫌いになる。
目的があってのことではないので、キネーシス的ですらない。
アドラーは、エネルゲイア的な人生を提唱する。
カウンセラーも、もっと今を楽しめばよいと言う。
例えば受験生がいて、何らかの事情で突然受験の機会を奪われたとき。
エネルゲイア的人生であれば、それまで積み重ねた努力や実力を肯定し、以後の人生を歩む大きな力になるだろう。
無闇に難行苦行を積まねばならないと思うだけで実際は何もせず自己嫌悪に陥ることではなく、もっと本質的に人生に向き合うということだ。
今、ここの自分を充実させ続けること。
今、ここの自分に強烈なスポットライトを当て続けること。
2015-05-10 19:51:36(Sun)
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わかります
>難行苦行の行為そのものが目的なのだ。
わかります。私も以前はそうでした。子供のころから、そう教えられ育てられ、思い込んで刷り込まれていました。
綺麗な服を着ておしゃれをすることや、おいしいものを食べること、旅行、本当は望んでいるのにやみくもの我慢をすることが美徳だったのです。
でも、止めました、そんな考え。
人生を楽しもうと思って。
年をとって、もう後が無いと考えたのです。いつどうなるかわかんない、我慢だけで人生が終わるのは嫌だって。
ただ時折、楽しむことが怖くなる時があります。
昔の思い込みが私を襲うのです。
だから、自分と戦いながら、楽しんでいる感じです。
わかります。私も以前はそうでした。子供のころから、そう教えられ育てられ、思い込んで刷り込まれていました。
綺麗な服を着ておしゃれをすることや、おいしいものを食べること、旅行、本当は望んでいるのにやみくもの我慢をすることが美徳だったのです。
でも、止めました、そんな考え。
人生を楽しもうと思って。
年をとって、もう後が無いと考えたのです。いつどうなるかわかんない、我慢だけで人生が終わるのは嫌だって。
ただ時折、楽しむことが怖くなる時があります。
昔の思い込みが私を襲うのです。
だから、自分と戦いながら、楽しんでいる感じです。
Re: きたあかりさん
コメントをありがとうございます
後がない。
そうなのかもしれませんね。
私も、きたあかりさんがそうだったように、子どものころから辛抱、辛抱というように育てられ、その考えに囚われているのでしょう。
それはそれである種の美徳であるがゆえに、なかなかその考えから抜け出せないのでしょう。
私もその囚われとうまく付き合うことができれば、もう少しうまく人生と付き合えそうな気がします。
きたあかりさんは、囚われと決別し、楽しむという選択をなされたのですね。
勇気のある決断だと思います。
貴重な示唆をありがとうございます。
後がない。
そうなのかもしれませんね。
私も、きたあかりさんがそうだったように、子どものころから辛抱、辛抱というように育てられ、その考えに囚われているのでしょう。
それはそれである種の美徳であるがゆえに、なかなかその考えから抜け出せないのでしょう。
私もその囚われとうまく付き合うことができれば、もう少しうまく人生と付き合えそうな気がします。
きたあかりさんは、囚われと決別し、楽しむという選択をなされたのですね。
勇気のある決断だと思います。
貴重な示唆をありがとうございます。
艱難苦行という程ではありませんが、私は常に何かしていなければならない、という強迫観念みたいな物がありました。
成果を出していないと、自分を責めてしまいました。
しかし、そんなに常に何かをする、成果を出す事などできるはずもなく、つばめとそら様と同じ様に自分を嫌いになってしまっていって、負のスパイラルにはまっていました。
最近、休日にダラダラする事を自分に許す、というか、やっていいんだ、と思えるようになってきました。
今、ここの自分を充実させる事、というのは、とても厳しくです難しい事だとわかってきました。
以前にもまして、自分を怠けさせる事を許さなくなってしまいそうです。
なので、ダラダラする時も積極的にダラダラを楽しむ、ダラダラで自分を充実させる、と考える様にしました。
今、ここの自分を充実させる、というのは、行動するにしてもダラダラするにしても、常に自分のやっている事を意識する事ではないかと考えています。
人生に向き合うという事と近いと感じました。
私なりの解釈ですが、長文コメントをして申し訳ありませんでした。
成果を出していないと、自分を責めてしまいました。
しかし、そんなに常に何かをする、成果を出す事などできるはずもなく、つばめとそら様と同じ様に自分を嫌いになってしまっていって、負のスパイラルにはまっていました。
最近、休日にダラダラする事を自分に許す、というか、やっていいんだ、と思えるようになってきました。
今、ここの自分を充実させる事、というのは、とても厳しくです難しい事だとわかってきました。
以前にもまして、自分を怠けさせる事を許さなくなってしまいそうです。
なので、ダラダラする時も積極的にダラダラを楽しむ、ダラダラで自分を充実させる、と考える様にしました。
今、ここの自分を充実させる、というのは、行動するにしてもダラダラするにしても、常に自分のやっている事を意識する事ではないかと考えています。
人生に向き合うという事と近いと感じました。
私なりの解釈ですが、長文コメントをして申し訳ありませんでした。
Re: ダンゴムさん
コメントをありがとうございます
ダンゴムさんは最近の休日の過ごし方が、いい意味で力が抜けているようですね。
私もだらだらしているのですが、焦りみたいなものもあって、気が休まりません。
休むことも、今、ここの自分を大事にすることであるのは、頭はわかってるんですけどね。
今、ここを充実させることは、今の自分のやっていることを意識することとは、大いに同意します。ひいてはそれが人生と向き合うことであることも。
まさにマインドフルネスの境地だと思うからです。
意味のない難行苦行をやめることを自分に許すのは、私にとって、新しいライフスタイルを受け入れることです。まさに受け入れる勇気だと思います。
ダンゴムさんは最近の休日の過ごし方が、いい意味で力が抜けているようですね。
私もだらだらしているのですが、焦りみたいなものもあって、気が休まりません。
休むことも、今、ここの自分を大事にすることであるのは、頭はわかってるんですけどね。
今、ここを充実させることは、今の自分のやっていることを意識することとは、大いに同意します。ひいてはそれが人生と向き合うことであることも。
まさにマインドフルネスの境地だと思うからです。
意味のない難行苦行をやめることを自分に許すのは、私にとって、新しいライフスタイルを受け入れることです。まさに受け入れる勇気だと思います。
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