妻が寝込んでしまった

妻が体調を崩した。
体調を崩したといっても、大病の類ではない。
しかし、頭痛がひどいという。
妻は仕事中の私に、めったなことでは連絡してこないが、その妻が頭が痛いと電話してきた。

夜遅くのことである。
妻は一人で耐え難い頭痛にさぞかし不安になったことだろう。
飛んで帰ることのできない距離がもどかしい。
私が翌日(週末)に帰宅する旨を伝えると、妻は気丈にも「仕事があるのだから」と私を気遣う。

翌日の夜になって私は帰宅した。
妻は激しい頭痛で身動きひとつできないようだ。

妻はとても家事どころではないので週末は子供たちとカレーを作った。
カレーなら作りおきできるし。
子供たちは基本料理は好きだ。
娘と息子は率先してたまねぎの皮をむいたり、にんじんやじゃがいもを切ったりした。
そしたら適当に肉と野菜を鍋で炒め、水を入れて煮込むだけ。
あとは、カレールゥを入れて煮込んだらできあがり。
煮込みあがるまでに娘が自主的に米を研ぎ米を炊く。
でも、子供たちが楽しく料理をしていたのは確かだ。
おいしくできたと思う。
まぁカレーはルゥを投げ込むだけなので、よっぽどおかしなことしなければ失敗しない。
カレー粉から小麦粉からバターからなんて本格的なところには手を出さない。
生兵法は怪我の元なのだ。

後片付けは子供たちをうまくそそのかし指導し、皿洗いをさせる一緒にやる。

・・・あれ?お、おれは子供たちにあれこれ指示はしたけど、自分は何か家事したっけ??

妻も少しづつ回復しつつあるようだ。
2012-03-26 23:12:54(Mon)
 

カウンセリングを受けて

先日臨床心理士によるカウンセリングを受けてきた。
私の抱えている問題を話すと、もはや心理療法なのか人生相談なのかわからなくなる。
カウンセラーに人生相談をしても仕方がないのだが。

総括すると、私は自分にも他人にも要求水準が高すぎるらしい。
要求水準が高すぎるといっても、既に私の会社での評価は低く、いつリストラ候補に名を連ねるのかわからないのだ。
そんな状況で要求水準をさらに下げるということは、生活の基盤を脅かすことに直結する。
カウンセラーは「今でもよくやっている」というが、私が背一杯やっていることと、成果を出しているかどうかは全くの別問題なのだ。精一杯頑張ろうが命を削ろうが、成果の出ない頑張りには意味がない。
少なくとも給与を得て生活の基盤を支えるという意味では。

資本主義という社会システムである以上、需要のないところに私の存在価値はない。
需要を自ら生み出すという考え方もあるが、基本的には私という人間に対し需要がなくなれば「神の見えざる手」により私は淘汰されるのみなのだ。
労働市場において私という人間の市場価値を高め続けねば生き残れない。資本主義である以上は、弛まぬ生産性向上が至上命題なのだ。
それでも私は資本主義を否定するわけではない。資本主義はベストではないにしてもベターな社会システムだろうと思っている。

話が大きくそれたが、カウンセラーは「今だけ」自分や他人に対する要求水準を下げてみてはという。
しかし、「今だけ」が永遠になる気もする。そしてついに破綻することが怖い。

・・しかし今もどの道成果が上がっていないのならば、いっそのこと要求水準を下げてみるのも合理的な考えかも知れぬ。
だんだん混乱してきた。しかし後悔だけはしたくない。
2012-03-25 23:44:45(Sun)
 

プロ意識の欠如

私たちの業界では、「人月」という単位で売り上げがたつ。
1人月とは一月あたり一人を割り付けた場合の工数だ。

私自身一ヶ月あたり顧客といくらで契約しているか知っている。
また、私が会社に在籍することによるコストも知っている。
すると、必然的に私がどれくらい稼ぎ出さねば会社が赤字になるかも知っている。

プロは自分のアウトプットに責任を持つもの。
どんなに努力をしようが徹夜で残業をしようがアウトプットが出ねばそれは無駄でしかない。
誤解を恐れずに言えば、どんなに遊んでいようとプロはアウトプットさえ出せばよい。
もちろんアウトプットの種類は多様である。顧客向けのもの、社内向けのもの・・

私の場合、顧客が私というエンジニアに支払う金額に対してアウトプットの価値が低すぎる。
例えば私が1ヶ月かけてある計画書なり設計書なりを書いたとする。
顧客は私に払うコストをかけて私のアウトプットである計画書や設計書なりを買うのだ。
顧客が私に払うコストとはとりもなおさず投資である。
私が顧客に提供する成果物は、顧客の投資対効果という意味合いで全くお話にならない。

今の私は何をやっても投入コスト以上の成果物は生み出せない気がする。
たとえITではなく別業界にいたとしても。
これでは社会にとっても私はコストでしかない。
弛まぬ生産性向上と拡大再生産を宿命とする資本主義の中では私の居場所は最早ない。

しかし、たとえそうであっても私は全力で走り続けねばならない。
走りを少しでも緩めれば解雇があり、一度落伍すれば私は這い上がることはできないだろう。
42.195kmを100m走のペースで走らねばならない気分だ。

それでも、どうあっても私は生き残らねばならない。
2012-03-22 00:16:57(Thu)
 

文明の力

先日、電動アシスト自転車の試乗する機会があった。
普段私は重さ10kgのスポーツバイクに乗っている。底には無駄なものをそぎ落とした潔さ、機能美すらある。
かたや22kg以上もある電動アシスト自転車。みかけもぼてっとしている。
やはり「ボクノスポーツバイクカコイイ」。
電動アシストなぞ取るに足るものか。

自分の愛機に陶酔しながらも試乗用の自転車にまたがってみる。
20kg以上もある割には取り回しは意外とママチャリ感覚でいける。
またがって、左右に揺さぶってみる。ハンドルを切ってみる。ブレーキを握ってみる。でもハイテクマシーンのオーラを微塵も感じさせず、普通のママチャリと何ら変わらない。
一応3段変速ミッションが着いている。私の24速ミッションに比べれば所詮おもちゃのようなものだ。
電動アシストというハイテクマシーンもやはりママチャリなのだ。
もはや「ボクノスポーツバイクカコイイ」は揺るがない。

さてと、軽く走ってみよう。
20kg以上もある自転車だ。漕ぎ出し~加速はかなり脚力が要りそうだ。ママチャリだし。
しかし、そのような電動アシスト自転車を小ばかにしていた私の認識が一変に変わる。
ペダルに力を入れた瞬間誰かが私と一緒にペダルを踏んだかと思った。
予想以上に前に進む。3段変速ミッションは一番重い設定になっている。
試乗コースには急坂が準備してある。しかし、いちばん重いギヤのまま失速もせず登りきれてしまった。
・・・。

・・・これだ・・あのおばちゃんの秘密は・・・

スピードがある程度になると電動の手助けがなくなり、通常程度のスピードしかでない。
平地ならば確かに我が愛機の圧勝だ。
しかし、坂道に差し掛かった途端、電気の第三の足がおばちゃんの足に加勢したのだ。
10kgの我が愛機は馬力は私の貧脚頼み、22kgの電動アシストの自転車は重いが電気の力がある。
ちょうど、軽量戦闘機である1000馬力の零戦が、重いが2000馬力のグラマンに勝てなかったの同じ理屈だ(何のことだ?)
これは勝てない。
その後ある番組で、電動アシストの素人とプロがプロ仕様の自転車で坂道のぼり対決をして、電動アシストの素人が勝ったことをみかけた。
・・無念である。文明万歳。

でも電動アシストになんか乗ってやらないんだ。
例え貧脚でも道は自分の力で切り開くものなんだ。(←もはや何を言っているのか意味がわからない)
2012-03-20 16:31:48(Tue)
 

アイススケート

先日家族とアイススケートに行ってきました。
私は自転車といい、アイススケートといいスピードがでるものが好きなのでしょう。
子供たちもスケートは喜んでいます。

妻は「滑れないから」といって、さりげなくリンク外から疲れた子供たちのケアや荷物の番などをしてくれています。自分は滑らなくてもスケートに付き合ってくれる妻に感謝です。

上の娘はとりあえず危なっかしいですが、なんとか滑れるようです。
下の息子は完全に自己流です。スケート教室に数回通って手すり磨きは卒業したのですが、フィギュアスケート靴のつま先のぎざぎざの部分を使って進んでいます。
「ぎざぎざで進んだらだめ。足をハの字にして斜めに進みなさい」というのですが、「こっちがいい」と頑なに助言を聞き入れません。息子は元来人の言うことを聞き入れないタイプなので、指導が難しい。
・・まったく誰に似たんだよ・・お、おれか・・・・・・・・

でもスケート靴が氷を食む感覚がなんとも心地よく、バイクのタイヤのグリップ感を確かめながら走る感覚になんとなく似ています。(たぶんぜんぜん違いますが)
荷重をかけないと氷を充分に食む事ができないが、荷重をかけすぎるとスケート靴のエッジが負けてハイサイドしてしまいそうになります。

いずれにしても今シーズンスケートにいけるタイミングもなかなかないので、あと一回くらいはスケートにいきたいと思っています。
2012-03-20 15:48:26(Tue)
 

かなわない相手

先日、「クロスバイクに乗って」という記事で、どうしてもかなわない相手がいることを最後に書きました。
そのかなわない相手は、私よりも年配とおぼしきおばちゃんだったのです。

その日、私は愛機と颯爽とその快速をとばしておりました。
すると前方にふらふらと走っている買い物帰りのおばちゃんが走っていたのです。
彼我のスピード差は明白で必然的に距離が少しづつ詰まります。
飛行機で言えば、戦闘機とセスナ機ぐらいの性能差がありそうです。

私とおばちゃんの差が約20mくらいまで接近したときでしょうか。
急な坂道に差し掛かりました。

「おばちゃんは坂道で自転車を降りるか、それでなくてもペースは落ちてくる。私も無理はするまい」
と「自重」し、あえておばちゃんを抜きにかからず追尾を続けました。

おばちゃんとの距離は縮まらない。
私は自慢の24速ミッションのスプロケットを少しづつ落とし、ギヤを軽くしていく。
やがて私の息が上がり始める。
おばちゃんとの距離は縮むどころか開いていく。

なんということか。
この私が買い物帰りのおばちゃんに敗北するのか。

しかし、おばちゃんは既に坂道を登り終え、追尾不能な距離まで開いてしまいました。
な・・情けない。おばちゃんに負けるとは。
おばちゃんは、私の気配にすら気付かなかったに違いない。
屈辱である。

なぜあのおばちゃんは平地とそれほど変わらぬスピードで坂道を駆け上がったのか。
あの豪脚はなんなのか。

そして、しばらく後おばちゃんの豪脚の秘密を知ることになった。
2012-03-18 14:10:31(Sun)
 

マイペース

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2012-03-08 00:25:54(Thu)
 

大人気なく

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2012-03-07 00:31:06(Wed)
 

デート

先日家族と出かけました。
私はコートのポケットに両手を突っ込んで歩いています。
その突っ込んでいる私の左手のひじの部分に娘が手をつないできます。

私が歩き出せば、つないでいる娘の手が少しだけ伸びた後、娘も歩き出しまた元の位置に戻る。
私が右へ行けば、娘との距離が一瞬開くけど、娘も右へ歩き出しもとの位置に戻る。
私が立ち止まると、娘は少しだけ行き過ぎて止まり、私が距離を詰めまた元の位置に戻る
何かの都合で手が離れても、歩き出すとまた私の左手のひじの部分に手をつないでくる。

娘の年が年ならまるで恋人のようです。
娘はいつまで私と手をつないで歩いてくれるのだろうか。


2012-03-01 00:06:22(Thu)
 
プロフィール

つばめとそら

Author:つばめとそら
うつ状態のときもあるさ
日々の気持ちをつづっていきます。
(o^-')b

【私の治療歴】
■投薬治療
 2008年6月~2013年5月
 
■心理療法
 来談者中心療法によるカウンセリング
 認知療法
 マインドフルネス
 森田療法

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